しかも息子と多くの時間を共に過ごす方の理解がかなり乏しい・・・
これって息子にとっては敵地に出向いて行くと同じような気がする・・・
関わりが深い方ほど(担任とか・・・)理解をしてもらえない
それはなぜか?
息子は知的な遅れがありません。
それどころか饒舌なところもあり、難しい言葉をきちんと理解して使ったりもします。
大人顔負けな対応を取ったりもします。
だからこそ理解してもらえないのです。
嫌だ=不安なのに、嫌だ=わがままと受け取られてしまうのです。
つい先日の《本当の感覚過敏ではない》発言の際に一緒に言われてしまいました。
《息子さんは怒ったり泣いたり怒鳴ったりすれば嫌なことから逃げられると思っている。大人がそれを許してきた。》
とも言われちゃいました。
がっかりと共に苛立ちも起きました。
ここでもやはり理解されないのかと・・・。
幼稚園では息子はこのことで散々苦しんだだろうと思います。
それをまた繰り返さないように、私には担任の先生に理解してもらうという使命がある!
なんてすごいことじゃないかもしれないけれど、息子の人生がかかっているので、すごいことだよね(笑)
最近目にする記事に【子供の登校拒否は親が変わればなくなる】なんていうのがありました。
読んでません(笑)
すべての親に対して発信しているわけではないのだろうけれど、これを読んで不快に思う親はどれくらいいるのだろう?と思うから。
子供を放置している親もいるかもしれない。
向き合うけれどどうしたらいいのかわからない親もいると思う。
向き合っているけれど間違っているかもしれない親もいると思う。
どれが間違っていてどれが正解か、それは家庭によって違うし子供によって違う。
だからこそ、断定している先生の発言が私は不快に感じてしまう。
少なくとも家庭では息子が駄々をこねたり泣いたり大声を出した時の要求には一切応じたことがない(笑)
それって当たり前のことだと思っている。
私はそんなときは息子に「落ち着いたらお話を聞くよ」と冷静に話しかける。
怒っているときは「怒る人の話は聞きたくない」とも言ってしまう。
そうすると息子は「怒ってない!!!」と怒るけど(笑)
私はチャンス!とばかりに「それは怒っているように感じるよ!怖いよ」と今の君は怒っていて怖いと人に思われてしまうことを教えているつもり。
こんなやり取りを重ねていくことによって息子も【自分は怒っている】ことに気づき、どうしたらいいのか考えられるのではないか?と私は思っているのです。
だからこんなチャンス、家庭ではつぶさないようにしっかり受け止めている!
では、幼稚園でそうだったのか?と言われれると園の先生から見たことや聞いたことがないのでわからないけれど、もし息子が怒ってキレて要求が通っていたら2次障害になってたかな?と思うんです。
反抗挑戦性障害の診断を受けたのは1年生になってからだけど、私が思うに年長さんですでになっていた気がする・・・。
それを幼稚園は「落ち着いてきています~」って言って隠していた。
隠していたって言い方が正しいかどうかわからないけれど。
2回目の幼稚園を辞めてからしばらくして、保護者の方に聞いたことがあるんです。
『園で息子さんがとても怒って「ここを開けろ!!!!」と玄関のドアをガンガン蹴っていたのを見たの。
家に帰りたいみたいで「ママを呼べ!!!」とも叫んでいたよ。それをね、教頭先生がすごい形相で「開けません!!!!!」と怒鳴っていたの。私ですらその怒鳴り声は怖かったよ。園児に向かって怒鳴ってどうする!?って見ていて頭に来たよ。』
との情報を聞いたのです。
この件、園からは私には一切報告はありませんでした。
きっと前の園でもしばしばあったことでしょう。
手に付けられないと怒鳴る、怒る、否定する、息子はこんな扱いを受けてきたからこそ2次障害や反抗挑戦性障害にまでなってしまったと思うのです。
この手の報告はこちらに一切なかったので私は息子が追い詰められていることも知らずに一生懸命に園に通わせていましたよ。
今本当に切実に思うのですが、ごまかしなんていつかはバレるんです。
効かなくなる時が来るんです。
まだ園児だからってなめちゃいけません!
ごまかしはその場限りで解決になっていないことに気付いてほしい!!!!
って大きく反れちゃったけれど、担任の先生が感じていることは間違いとかではないけれど、そんなにホイホイと大人が容易に彼の要求に対して受け止めてきたわけではないのは事実だと思うのです。
そうなると、では息子は何なのか?
嫌な事=不安
これなのかなと。
嫌なことに対する不安から逃れようとあの手この手を使おうとします。
それは饒舌な息子だからこそ嘘も付いちゃう。
私は嘘を付くことが悪いこととは思わず、嘘を付かせてしまう環境が悪いと思うのです。
だから息子には『嫌だったり不安な気持ちがあったらその気持ちだけを言うでいいんだよ。』と伝えています。
息子の中には『どうせ信じてもらえない』という気持ちが強くあります。
それは幼稚園時代に育ってしまった気持ち。
誰も味方がいない、誰も自分をわかってくれないという辛い気持ちから逃れようと育ってしまった気持ちだと思っています。
信じてもらえない不安があるから嘘を付いたり、話を盛ってしまうと思うのです。
例えば体育がやりたくないとします。
いろんな理由があります。人が多くて嫌だとか、何をするのかわからなくて不安だ、おっくうだ、とか。
場所が変わることに抵抗のある息子なのでもしかしたらその辺も嫌な理由になっているかもしれません。
饒舌だけれど自分の気持ちを言い表すことは苦手です。
気持ちを言い表せない変わりにどうしたら大人が信じるか?を試します。
「具合が悪い」と言ったらやらなくて済むかな?とか。
こういうところは賢いです。(笑)
この嘘ももしかしたら本当かもしれない。
嫌だなと思う気持ちが大きいと具合も悪くなりますよね?
とりあえず今のところ担任の先生は頭ごなしに「ダメです!」とは言ってないので助かっています。
「見る勉強でもいいです。」と言われているそうです。が、息子からしたら「具合が悪いって言っているのに体育館に行かなきゃいけないってひどいよ!(怒)」との主張も・・・(笑)
確かにそうなんだけれどね💦
先生も思う気持ちはあるけれど、口にせずに対応は息子に添ってくれている。
けど、先生の思う気持ち(嫌だから逃げようとしている、嘘を付いている)があるから、「保健室に行きますか?」ではなくて「見る勉強」になるんですよね(笑)
事実(具合が悪いと言って体育を休もうとする)だけに目を向けるのではなくて、その後ろにある真実(本当は何なのか?)に目を向けないと子供も辛いと思うのです。
ここでも先生と私の意見が合わなかった・・・(苦笑)
長くなったのでそれはまた後日にしようと思います・・・
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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